宮之浦岳(2)/1999年8月24-26日


屋久島登山2日目は、朝から雨降りでした。もともと屋久島というのは雨の多い島で、「1ヵ月に35日雨が降る」という物理的におかしい表現で有名です。(林芙美子という人の小説の一節だとか)

それでも島に到着して3日間、奇跡的に晴れが続き、「しじみさんが一生分の運を使って晴れさせてくれたんだよねー」などと後輩たちにおだてられていたんですが・・登山が終わるまでもちませんでした。私の一生の運なんてそんなもんです。


出発の朝。フードがなくてゴミ袋をかぶってる奴も(最後列右)

ゼリーパワーで朝にはしじみの体調も復活しており、パーティーは合羽を着て雨の中を出発。雨のせいでテンション的にはややハジケ足りない感じですが(ていうかこれぐらいがちょうどいいのでは・・)、体力はモリモリです。小高塚山、高塚小屋を経て、かの有名な「縄文杉」とご対面です。


雨に煙る縄文杉。胸囲(?)は16m以上もあるとか。

7200年前という、想像もつかない太古から生えていたといわれる超高齢樹。(「にこにこぷん」の「かしの木おじさん」を思い出すのは私だけでしょうか・・)植物にはあまり興味のないしじみでさえも、この荘厳さには心をうたれ、てっぺんを見上げながら遥かな昔へ想いをはせていました。

と こ ろ が ・ ・ 。
今回調べてみたところ、実は樹齢2170年だったという新説が!!しかもこっちが正しそう。今まで3倍以上サバ読んどったんかいコラー!(興奮して関西弁)

いやまあ2170年でも十分すごいんですが・・なんだかネッシー嘘でしたに次いで悲しい真実です。

でもほら、こんな新しい息吹もありました。きっとこいつが7200年後には老巨木になって、平成杉とか呼ばれるに違いありません。その頃日本は存在するんだろうか

そうそう、真実といえばこんな話も。
この縄文杉周辺で、メンバーの一人がモウセンゴケに似たネバネバ系食虫植物の一種を見つけました。思わぬ発見にみんな感動して、「さすが屋久島!すごい植物がある!」と大騒ぎになりました。

でもね、実はその草、滋賀県の山にもザラに生えてるんです。けれど盛り下げたくなかったので、しじみはそのことを黙ったまま、一緒にキャーキャー騒いでいました。今明かされる6年目の真実(^-^;)

続いて、一行は巨大杉の切り株「ウィルソン株」に到着。とにかくでっかいです。


ウィルソン株前にて。みんなが小人に見える・・。


株の中は空洞で、祠(ほこら)のようになっています。ほこらしげ


コブとり爺さん気分になれる根っこのウロ(ふし穴)

この後も「三代杉」などの巨大杉群をワーギャー騒ぎつつ見物し、歩いては立ち止まりをくり返しながら、分岐「楠川分かれ」を経て小杉谷へ。この辺になると道もかなり平坦です。
そして登山道の上に忽然と、延々続く線路が現れました。


これはトロッコ車の線路だそうで、この時は見かけませんでしたが、トロッコ車は営林署の資材運びなどで今も時々使われているとのことです。雨もやんでちょっとハイになっていたしじみは、「敷かれたレールの上を歩くばかりが人生じゃない!」とか言ってみんなに無視されてました。

続く小杉谷小学校跡では、サルの群れに遭遇。「ファンキーモンキーベイベー♪」とか歌いながら、みんなシャカリキに写真を撮ったものの、見事に全部逆光でした。(中央に2匹います。3匹以上見える方は病院へ・・)

そしてこの後まだまだ歩いて、ゴールの荒川口に着いた時にはもう昼もかなり過ぎた頃でした。予定では午前中に着くはずだったのに・・。まあこのお祭り部隊ではムリってもんだなぁ。

メンバーの一人・I君は、バイトの都合があって、本当はこの日の昼頃の高速船に乗って帰る予定でした。でももうこの時点で完璧に間に合わないことが確定。船のチケットを手に呆然としていました。(後で電話でバイト先に謝りたおしてた・・)


高速船バイバイ事件・記念写真

この後、頼んでおいたタクシーに乗り込み、長い長い林道を経て、宮之浦港に無事到着。荷物を置かせてもらっていた民宿ゆうゆうにたどり着いた頃には、すっかり日も暮れかかっていました。

当初の予定では、このあと浜辺にテントを張ってキャンプすることになってたんですが(バカだ・・)、もうみんな満州から引き揚げてきましたみたいなボロボロの格好でテントなんぞ立てる気力もなく、結局民宿ゆうゆうの大将を拝み倒して、空いてる一部屋に素泊まりさせてもらいました。ありがとう民宿ゆうゆう!ビバ民宿ゆうゆう!泊まるならやっぱり民宿ゆうゆう!!(ささやかな恩返し)


片づけられない若者たち。このまま飲んだくれて雑魚寝してました。

そして、ぐっすり眠った翌日。再び晴れた空の下、しじみたちはフェリーに乗り込み、思い出いっぱいの屋久島をあとにしたのでした。


さよなら屋久島・・

以上で屋久島・宮之浦岳のレビューはおしまいなのですが・・ちょっとだけセンチメンタルな続きがあるので、よろしければお読みください( ^-^; )

<おまけ>

長い旅行の中で、後に屋久島フィーバーと呼ばれる強度の躁状態になっていた我々は、鹿児島港に上陸しても高ぶったテンションがおさまらず、夜行バスを待つ長い長い時間に耐えきれませんでした。

「そうだ!今回の旅行では一度もテントを立てなかった!これじゃテントがかわいそうだ!立ててやろう!そう、今ここで!!

何をどう考えたらそんな結論になるのか今となってはさっぱり分かりませんが、その時の我々にはそれが一番いいことのように思えました。そして、我々はテントを立てました。鹿児島駅のまん前で。

 
駅前の一等地でテント立て決行。やり遂げた男たちの清々しい笑顔。


さらにノッてきて、「モスラ」とか言って寝袋で徘徊する友人。
警察とかいなくて本当に良かった。

しじみたちは発作のごとく笑い転げながら、モスラ君を担ぎ上げてゴミ箱に放り込んだり、2人がかりで横抱きにして何くわぬ顔でコンビニに入ったり、ありとあらゆるメチャクチャをやらかしました。歌が切れたら発狂していた宮之浦岳の登山のように、この時の我々はバカをやめたら発狂していたでしょう。(←なんか変な表現 ^-^; )

そう、しじみたちは心の底で気づいていたのです。こうして無理やり引き延ばしてはいるけれど、もうすぐ旅は終わりなのだと。そして、多分もう二度と、気の合う仲間同士で、こんな大旅行はできないのだと・・。我々はバスが来るギリギリまで、現実から目をそむけて、わけのわからない一発芸をくり広げました。「おもしろうて、やがてかなしき」を地でいく夜でした。

・・あれから6年。14人の仲間たちは散りぢりになってしまいましたが、一部の人たちとは今も時々集まって、年に何度か日帰り小旅行(登山or散策系)をしています。そうして非日常の世界へ飛び込んで、みんなちょっとだけバカになって、いつか一旗あげるだの一攫千金だのと、とりとめもない将来展望を語り合うのです。それらが叶うかどうかはともかくとして( ^-^; )、しじみにはそれがものすごく日々の活力になっています。そういう良い関係が作れたのも、あの屋久島の日々のおかげです。

しじみは普段は身近な近畿の山々が大好きだし、どこへ行っても同じようなリゾート旅行なんか願い下げですが、屋久島だけはこういういきさつがあって、イスラム教徒にとってのメッカのように、一生に一度の聖地といえる大切な場所になっています。こういう心の原点があるっていうのは、なかなかシアワセなことだと思います。

もしこれを読まれている読者の中で、まだ社会人になる前の学生の方がおられたら、ぜひ今のうちに、気の合う(=バカになれる)仲間とこういう長期旅行をされるようお勧めします。別に行き先は屋久島でなくても、比良縦走でも鈴鹿縦走でも、はたまたアルプスでの山小屋バイトでも、とにかくちょっとシンドイめの非日常であればOK!極彩色の思い出を作りましょう!!
(もうすでに社会人の方は、定年後の一大イベントとして、今からじっくり計画練りましょうね・・ ^-^; )

<おまけのおまけ>

帰る途中、広島で電車を降りてフェリーで宮島に行きました(宮島フェリーは青春18切符が使えるのです)。よくよくが恋しかったんだな・・。


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