【宮之浦岳】 鹿児島県熊毛郡・屋久島


※行程が長いため、本図は当サイトの他のコース図より2倍強の縮尺にしています※

本図は(財)日本地図センター発行の25000段彩・陰影画像を元に作成した。(同センター承認済)
■この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第82号)
※25000段彩・陰影画像は数値地図25000を元に作成されており、本図はその二次利用のため両文併記。


<屋久島・全島図&コース概略>

★登山お役立ちデータ集★
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宮之浦岳(1)/1999年8月20-23日 

空から恐怖の大王が降ってこなかった1999年、8月。 当時大学生だったしじみは、自らの登山史に残る一世一代のイベントを企画しました。

それは、ホームグラウンドの近畿を飛び出して、九州最高峰・屋久島の宮之浦岳に挑む大遠征登山。「金はないがヒマはある」学生の特権を活かした、約1週間の長期旅行です。

1人じゃさびしいので友だちを巻き込もう、と思ったしじみは、「社会人になったらこんなことはできない、やるなら今しかない」と力説し、「屋久島」「南の海」「世界遺産」「巨大杉」などの耳ざわりの良い言葉を連呼して、サークルの仲間たちをこの大旅行に勧誘しました。

そしたらけっこうみんなノッてくれて、参加者がワラワラと集まること実に14名そんなにはいらなかったのに・・にわかに大旅行団の幹事長になったしじみは、予想外の人員の把握に大わらわ。こんなはずじゃなかった・・と思いながらも、「さすが名幹事、しじみさんの就職先は旅行代理店で決まりだねー」とか女の子たちにおだてられてついその気になり、必死こいて14人分の旅行プランを作り上げました。ダマすつもりがダマされた・・。

そんなこんなで、あっという間に旅行当日。飛行機で一足飛びに屋久島へ向かったリッチメンもいましたが、しじみを含む大半のビンボー学生たちは青春18切符の電車と夜行バスの乗り継ぎで、鹿児島までの移動に丸1日かかりました。2日目朝にようやく鹿児島港に到着し、ここからフェリーに乗って、いよいよ屋久島です。

強行軍ではありましたが、そこはバカさ若さあふれる学生集団。メンバーは疲れるどころか、南国の日差しを浴びてすさまじく盛り上がっており、フェリーのあちこちでネタ合戦をくり広げていました。


お約束のタイタニック(どちらもだが・・)


バージョンアップスタイル


どんどんエスカレート

バカやってる間にも船は進み、屋久島が見えてきました。宮之浦岳が中央にどっしりとそびえています。


フェリーから見た屋久島・宮之浦岳

ハイテンションのまま島に上陸し、飛行機組とも合流。(飛行機組はフェリー組のテンションの高さにとまどっていましたが、そのうち感染しました)ご当地名物「屋久島ラーメン」を賞味し、宮之浦港かいわいを軽く散策した後、一行は今旅行の拠点基地となる「民宿ゆうゆう」になだれこみました。


女5、男9、総勢14名。みんな若かった・・。
なお、1人多いのは宿の大将がちゃっかり紛れこんでるからです。

さて、実はこの翌日の丸1日、海で泳いだり(しじみは足がつったため一人日光浴)、浜辺でバーベキューをしたり(しじみは間違って電車の時刻表を燃してしまい皆に怒られた)と若者らしいことをやっていたんですが、それらを書いているといつまでたっても登山が始まらないので、割愛してさっさと話を進めます(^-^;)

屋久島到着3日目、いよいよ待望の宮之浦岳登山開始です(当初の大目的であったはずのこの登山は、メンバーの支持が得られずオプション企画扱いとなって日程後半へ追いやられていました・・)。

登山参加者は総員の半数の7名(女2男5)。早朝4時頃に起き出し、頼んでおいたタクシーに乗って、島の奥地・淀川登山口に向かいます。前日夜、宿代の徴収から逃げ回るメンバーを一人ずつつかまえていてすっかり寝不足のしじみを除き、パーティーの面々はすこぶる元気でした。以下道中ハイライト写真集。


早朝の淀川登山口で、登山前の準備運動。


高層湿原・花之江河。気持ちの良い木道。


稜線上から宮之浦岳を望む。
岩の爆撃でも受けたような、変わった様相の山です。


なんでやねーん!とツッコミを入れているかような枯れ木。
「ヤクシマン」と名付けたら他のメンバーに一斉に却下されました。なんでやねーん!

登山開始から実に10時間ほどたった頃、ようやく最高峰・宮之浦岳の山頂に到着。1人グロッキーのしじみをよそに、メンバーは大はしゃぎです。  


扇(おうぎ)

キリスト?

幻惑殺法!

底抜けに脳天気な一行でしたが、このあと目指す新高塚小屋がいっこうに現れず、日が暮れてくるに及んで、さすがの面々も少々不安になってきました(今思えばめちゃくちゃ危険な状況だった・・)。不安を吹き払うために誰かが歌をうたい出し、終わると別の誰かがうたい出し、合唱しながら薄暗い山道を進みました。あの時歌が途切れたら全員発狂していたかも・・ギリギリの心身状態でしたが、なんとか日没寸前に新高塚小屋にたどり着くことができました。     


日もとっぷり暮れた新高塚小屋にて。
腕組みなんぞできるいばれた状況ではないけど・・

この後、前夜の寝不足もたたって見事にバテてしまったしじみは、恥ずかしながら皆の食事作りにも参加せず、小屋の隅でぐてっと寝ていました。皆が作ってくれた食事も、腹は減っているものの、のどを通らない。あきらめて眠ろうとしたその時、近づいてくるB先輩の手にヴィダーインゼリーを発見!あれなら飲める!うおー欲しー!!

1万円でもいいから売ってほしい、などとボケた頭で考えていたその時、B先輩がそのとっておきのゼリーをすっと差し出しました。
「病人はこれでも飲んで寝てろや」

うぉーかっこいい!あふれるダンディズム!B先輩、今のあなたはキムタクよりトク・クルーズよりかっこいいっす!!どっちにも全然似てないけど・・こうしてしじみは貴重な滋養を得ることができたのでした。
(あとでB先輩が苦笑して言うには、荷物からヴィダーインゼリーを取りだした時に、女性陣2名から「それは病人にあげなさい」という無言の圧力がかかったんだとか・・いずれにせよ大感謝であります)

それにしても、登山経験最長なのに、まっ先にくたばってるしじみって・・この一件は後々まで伝説となり、しじみは「ペーパー登山者」というありがたい称号を得てしまいました。うん、ある意味当たってるかも・・。

宮之浦岳(後編)へ続く


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